宮本武蔵 仇討ち

宮本武蔵 仇討ち

ある日一人の少年が武蔵を訪ねてきた。父の仇討ちがあるのだが、必勝の太刀筋をご伝授願いたいというのだ。「よろしい授けよう。左に短刀を取り、右手に太刀を持ち、まっしぐらに駆け込め。敵の打つ太刀が短刀にかかった時、右の太刀で敵の胸先を突くがよろしい」。終夜この練習をして自得するところがあった。そこで再度武蔵を訪ねると、「快勝間違いなしである。明日その場に至り、腰を掛ける時、足元を見よ。蟻が這い出していたら、必勝の兆しだ」と言って少年を帰した。その場に着いて下を見ると蟻が出ている。いよいよ心丈夫に思い、勝負に及んだ。武蔵の教えたとおり、何の苦もなく、相手を倒した、という話がございます。

本多青仁斎靖邦のひとりごと
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平成29年10月13日




打ち抜く

打ち抜く

突きを入れたときは、いつも向こう側へ二、三尺も突き抜く心持で突かねばならない。柔術でも人を投げるのに畳の上に投げると思うてはとても人は投げられない。ねだを打ちぬき、土の中に三尺も投げ込む気で投げなければならない。一刀流名人海保帆平は常々こういっていたという。「上段から相手の面を打つときは、必ず相手の肛門まで打ち割る心持ちで打たねばならない」。技より気迫、勝負とはそういうものである。

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平成29年10月11日

写真は仲秋の名月。道場を覗く。
宮本武蔵

宮本武蔵

青木条衛門なるものと兵法談義をしている時、赤色の派手な腕貫をちらりと眺めて、「それは何か」と聞くと、仕合の時つけるという。武蔵はたちまち機嫌が悪くなって、叱り飛ばした。児小姓を呼んで、飯粒を取り寄せた。前髪の結び目にその飯粒を一粒つけて、立たせた。自らも立ち、刀を抜き、上段より振り下ろし、飯粒を二つに切り裂いた。それを3度やってみせて、「この通り手業が熟しても、勝つことは難しい。おぬしの了見、仕合など以ってのほかだと追い返した、という話がございます。

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平成29年10月5日


塚原卜伝 その2

塚原卜伝 その2

塚原卜伝は諸国修行の後、故郷の常陸に帰った。3人の子供のだれかに家督を立てようと決意した。それを試すことにして木の枕を戸口の上に置いた。まず長男を呼んだ。長男は見越しの術で枕に気がつきその木枕を持って座に着いた。次に次男、戸を開けたとたん枕が落ちてきた。咄嗟に後ろに飛んで刀に手をかけて謹んで座に入ってきた。最後に、三男である。三男はいきなり戸を開く。途端に枕が落ちてきた。瞬間、さっと抜刀して切伏せて座へ入ってきた。卜伝は大いに怒って、そんなに驚いて枕を切るやつがあるか、と叱りつけた。
3人の子供の中から選んで家督を譲ったのは、最も落ち着いていた長男だった、という話が御座います。

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平成29年9月25日
宮本武蔵と夢想権之助

宮本武蔵と夢想権之助

武蔵が播州にいた時のことである。夢想権之助という兵法使いが訪ねてきた。仕合をしたいという。武蔵は丁度楊弓の細工をしていた。楊弓というのは当時流行った小さな弓のことである。武蔵はこういうことにも興味を持って器用に作業した。兵法天下一夢想権之助と背中に書いた羽織を着て、大太刀を携えていた。武蔵は何の動ずることなく作りかけの楊弓を持って立ち合った。夢想権之助を少しも働かせなかった、という。この後、夢想権之助は一念発起、4尺2寸1分の杖を武器として一派を築くことになるのだ。神道夢想流杖術である。武蔵は、後日、小倉藩に仕えていた夢想権之助を尋ねて行き、磨き上げた杖術、神道夢想流杖術の技に敬服した、という話がございます。

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平成29年3月22日
武田鉄矢

武田鉄矢

ラジオ深夜便の10月号。武田鉄矢さんの対談が載っていた。九州弁、タバコ屋の倅、柔道やっていて見事な短足。わが前半生によく似ていて好感を持っている歌手、というより俳優。「幸福の黄色いハンケチ」でブレーク。高倉健。これはいい映画だった。その対談の後半で、年を重ねて来た今こそだから、夢中で合気道をやってるというのだ。私より6歳下、68歳、いい武道を選びましたね。何代目かの「水戸黄門」を演ずる。顔つきも穏やかになって、後半生、味わい深い生き方ですね。

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合気道の稽古

合気道の稽古

合気道は難しく考えない。人間本来の自然の身体にもどす身体回復の武道。 武道も時代とともにかわる。今の時代にぴったり。 競技武道ではないというところに意義がある。 畳の上での身体の動き。 小笠原流礼法の姿勢の大本は武術。馬術によって身体の根本を作る。要するに自然体だ。合気道によって立ち居振る舞いの基本ができる。スポーツで筋肉を鍛えるのとは違う。礼法もやはり頭から入らない。感覚的なもの。武術による身体作りが礼法の基本。合気道をやればそういうものが自然に身に付くのだろう。


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塚原卜伝

塚原卜伝

塚原卜伝は常陸国鹿島郡塚原村の人。卜伝の旅先での出来事。乗合の渡し船に乗った。中に逞しい壮士がいた。傍若無人、兵法の自慢をしていた。卜伝はあまりのことで、「貴殿はなかなかの兵法家のようだが、勝つことよりも負けぬようにすることだと思うが、いかがかな」など武術論議が、とうとう、お手合わせ願おう、と挑戦されてしまった。あの離れの小島ではどうだ。よろしい、と卜伝。島に飛び降りた自慢の男、3尺8寸の刀を抜いて、さあ来い。卜伝、応じるような構えをして、船頭の竿を借りると、船を島から遠ざけてしまって。「これぞ、無手勝流の奥義でござる」。塚原卜伝の武勇伝の一つとして語り継がれている。

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清水次郎長

清水次郎長

駿河の国の侠客といえば清水次郎長。剣術は学んではいない。ところが真剣の場で一度も負けたことがなかった。当時、よく言っていたのが、敵と向かった時、相手が打ち込んで来る、相手の剣がこっちとかち合って音がする、その瞬間、一振り振って敵を斬るというのである。何故か、これで相手を切り倒せぬことはなかった。清水の次郎長、剣術極意、の一席である。

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無心

無心

猿を飼ってる侍がいた。竹刀を持って突くと、飛び上がる。くぐり入ったり、竹の先をつかまえたりなどして、なかなか突くことが出来ない。或る日、猿をからかって突いてやろうと待ってるところに、急用があって家人に「もし」と声をかけられた。「なんだ」と返事しながら突くと、何の苦もなく突けた、という話がございます。

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写真の刀は「兼友」、抜刀用に使っている。重い。重厚。





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